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お葬式

2010.02.10 (Wed)

わたしはもともと親戚づきあいをあまり知らずに育って、
親類縁者の冠婚葬祭も経験がほとんどありません。
嫁ぎ先でも今のところ法事ひとつ経験がなく
生まれて43年、冠婚葬祭がなくても別に生活に支障がない・・・。
自分の結婚式すら二人きりでやったきりだし、
まあ親族での冠婚葬祭経験が少ないから
他人の冠婚葬祭も億劫に感じてしまうという
罰当たりな傾向はないでもないですが
(あ、祝う気持ちや悼む気持ちは人一倍ありますよ。
イベントとして慣れてないから億劫なだけで)
社会生活を営む上で最低限の交際は果たしているし・・・・。
自分のお葬式のときには子供がいるわけでなし、
自分の友人も参列できないほどよぼよぼかもしれず、
送ってくれる人たちはおろか、喪主すらいない状態だろうから
「お互い様」でもなんでもないわけで。
わたし自身はまだこれから4人の両親たちを送らねばならず、
叔父叔母まで含めると、これから10年20年の間に随分見送ることになります。
義父は自営で義弟があとをついでいるから、
仕事がらみで葬儀はちゃんとしたものをすることになりそうです。
義父自身は家族葬でと言っていましたが、
義弟は仕事の関係上そんな格好の悪いことは出来ないと言う・・・。
でも、義弟の都合でお葬式の規模を上げるからといって
その分、義弟が費用をもってくれるわけではなかろうし、
かと言って嫁の立場で、勿体無いからもっとこぢんまりやりましょうなんて
口が裂けても言えない。
冠婚葬祭の費用を惜しむのは、なんだかとても罪悪感がありますしね。
ひきかえ、うちの実家の父は国家公務員でしたが、
すでに現役を退いて数年、かつての職場とは無縁の日常を過ごしています。
職場には特に親しい同僚などがいたのかもしれませんが
父に何かあっても知らせるべき相手はわかりません。
兄弟や幼なじみも、父に何かある頃には、駆けつける体力があるかどうか甚だ疑問です。
うちの両親は「家族葬で」と言っていますが、
一人娘のわたしもOLのときならともかく
今は弔問どころか弔電一本期待できるあてもない身ですから
実際、家族葬にならざるを得ないでしょう。
お棺の担ぎ手すらいません。
いまは老人が長生きで、サラリーマンの場合、現役引退後が長いから、
職場がらみの弔問客はほとんど見込めず
故人と同年輩の友人知人は弔問したくとも体が言うことを聞かず
ということが多いんじゃなかろうか・・・。
あとは息子たちの関係者がどれだけ義理を立ててくれるかだけれど、
これには昔から疑問がありました。
一面識もない息子の関係者数百名に見送られて、
華々しくはあるけれど、それってどうなのかな、と。
それでも人は「立派なお葬式だった」「淋しい気の毒なお葬式だった」と
あとで必ず感想を言い合いますから、世間的には
知り合いであろうがなかろうが、悼む気持ちがあろうがなかろうが
とにかく人数を集めて盛大にやるのが故人のため!的な風潮は
家族層ばやりの今でも根強く残っています。
それに、お葬式の側面として、故人を送るため、という建前てはべつに
残った者たちの社交の場であることも否めません。
となると、家族層が主流になることによって、
日本人の持っていた遮光の場が、またひとつ減るのかもしれず、
こうやって現代人の人間関係が希薄になっていくのかなあとも思うのですが・・・・。
そうは言っても、親戚づきあいや人づきあいのニガテなわたしには
今後「お葬式」はかなりの難行苦行となることは間違いありません。
身近な人を亡くすだけでもつらいときに、
余計な気苦労までしたくないなというのが本音・・・
でも故人にしてやれる最後のことでもありますから
なかなか気持ちの落としどころが難しいものですね・・・。

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11:19  |  つれづれ  |  Trackback(0)  |  Comment(4)

Comment

お久しぶりです(*^_^*)

私も同じくこれからたくさんの家族、親戚を
見送らなければならない身として、いろいろ
考えさせられる内容でした

見栄なしで気持ちだけで送りたいと思って
いますが、そう簡単にはいきそうにないですね
考えただけでもイヤになります(・・;)
ゆきんこ |  2010.02.10(水) 14:01 | URL |  【編集】

う~ん悩ましいですね。
うちの父はうっかりこの年末に天国へ逝ってしまうところだったので切迫した問題でした。
父は「葬式をしないで火葬場へ直行、
戒名はつけないこと、死んだことを知り合いには3年話すな」と
書面に残してありました。
それでも病院で死んだら30分もしないうちに葬儀社が矢継ぎ早にやってくるでしょう(母の時がそうでした)
父の姿を見て「時期にいなくなるんだな」とポツっと心に鉛ができます。
葬式にお金をかけるより、生きているうちに美味しいものをたべさせ、
快適な生活をさせたいと思ってます。
茶葉ママ |  2010.02.10(水) 19:38 | URL |  【編集】

Re: タイトルなし

>>ゆきんこさん
年齢的にね・・・。
フツウは親族を年の順に送っていく過程で
だんだんに葬礼デビューしていくというか、
ちょっとしたお手伝いから始まってだんだん中心に近づいていくんだと思うんですが
親戚づきあいがないと、いきなりデビューが本番!的な恐怖があります。
しかも、きょうだいもいないから、悲しみも雑務も一人で引き受けることになります。
それを考えるとユウウツですが、しかたがありませんよね。
もう葬儀屋さんに完全お任せで開き直ります。
に お久しぶりです(*^_^*)
**めめ** |  2010.02.10(水) 20:27 | URL |  【編集】

Re: タイトルなし

>>茶葉ママさん
お父様、3年話すな、ってまるで武田信玄か諸葛孔明かって感じですね。
でも、本当は本人の意思が尊重されるべきところなんでしょうけど・・・
そうですか、病院で亡くなると葬儀屋さんのほうからアフローチしてくださるんですね・・・。
遺族は気が動転してますからね・・・・。
茶葉ママさんのおっしゃること、ほんとにそうだと思います。
亡くなってからのあれこれは、結局残ったものの自己満足で、
生きているうちに本人の望みがひとつでも多くかなえられたら
それが一番いいことですよね。
わたしが小5のときに亡くなった母方の祖父は、
「やきそばが食べたいな」と言っていたのを、まさかその晩に突然亡くなるとも思わず
「また今度ね」と母が言ったのですが、やっぱり母にとってそれは悔いの残る結果だったようで、
やきそばくらいちゃちゃっと作って食べさせたげればよかった、と。
まあ、そんなものでしょうけどね・・・・。
**めめ** |  2010.02.10(水) 20:33 | URL |  【編集】

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