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義父、逝く その1

2012.11.21 (Wed)

11月16日17時11分。
義父が急逝しました。

「急逝」という言い方がふさわしい亡くなり方で、
長く苦しまずに逝かせてあげられたのが、せめてもの幸い。

息子たちにとっては、頑固でマイペースな昭和のお父さんだったけれど、
遅くに嫁いだ私にすれば、年々かわいらしいおじいちゃんになっていった義父。
80になった時にはまだまだ矍鑠としていたけれど、
それから徐々に言動ともにスローペースになって、
次の言葉を考えて「あー・・・」「うー・・・・」とうつむいたまま
えっ、寝そう!? なんてことが多かったため、
わたしは「吉本新喜劇のタツジイみたい(笑)」なんて無礼なことを思い、
自分の友人たちには「ウチのタツジイがね」などとよく話したものです。
だから、わたしの友人たちはみんな、
「てっちりの好きなタツジイ」「美々卯の好きなタツジイ」
「鰻の好きなタツジイ」「お寿司の好きなタツジイ」
「タバコの好きなタツジイ」「お菓子の好きなタツジイ」とインプットしてくれていて(笑)
今回、亡くなったことを知っても皆一様に、
「ええっ!? タツジイさん、つい最近まで鰻食べに行ってなかったっけ!?」と
驚いてくれたのでした。
それもそのはず、この春まで、義父はまだまだ健啖ぶりを発揮して、
外食大好き、お菓子大好き、コーヒー大好き、グルメなおじいちゃんを通していて、
その度に私は友人や同僚に「昨日ウチのタツジイと○○食べたよ」と
話してたんですから。

義父が天王寺でハルカスを見上げてひっくり返ったのは今年の4/5でした。
昨年の5月にお風呂場で動けなくなって以来、足腰の弱りがひどくて
夏からリハビリのため老健施設に入所、
今思えば、その期間が私たち夫婦にとっては一番大変な時期で、
義父が外出したがっている、タバコを吸いたがっている、
今すぐ散髪に行きたがっている、自宅に帰りたがっている、と
朝昼関係なくほとんど毎日のように施設から電話があり、
ご家族からなだめてくださいと言われ・・・・・
まだ仕事場にいるときなどにこれがあると、ほとほと困り、
「散髪は次の日曜日でもいいかな?」と電話口の義父に尋ねると
「いや、わしにも予定というものがあるのでな、
今から行けたらええと思うんや」の一点張りで、
またダンナから電話かけなおしてもらってなだめたり・・・と
まあ、義父も老健施設での生活が退屈でつまらなくて、
早く家に帰って好きなときに好きなだけタバコを吸いたくて、
ちょっと記憶やなんかが錯綜しちゃうこともあったりして、
とにかく「もう一回四国に行けるようになるために
頑張ってリハビリしようね」となだめすかして、
やっと、立ち座りや歩行が自力でスムーズに行えるまでに回復、
11月、念願の四国徳島行きを果たすことができました。
徳島まで車で送って行って、迎えに来てくれたダンナの従兄と
鳴門で一緒にゴハンを食べて・・・・
思えば、あれが義父との一番の遠出でした。
いつもよく四国の話や、四国から初めて船で大阪の天保山に着いた話を
それはもう繰り返し繰り返し聞かされてましたから、
一緒にフェリーに乗れたことや、一緒に四国の地を踏めたことは
いい思い出になりました。
従兄さんに義父を任せて私たちは帰阪しましたが、
義父はとても歓待され、至れり尽くせりであちこち観光もさせてもらったそうで
あの時の喜びようといったらなかったです。
もっとも、この四国行きを果たしたことで自信をつけた義父、
往年の暴君ぶりを発揮し始め・・・・・(^^;
いったんは承知していた施設入所もキャンセル。
そして翌春4/5、雷雨の中タクシーを飛ばしてハルカスを見に行き、
・・・転倒したというわけなのでした。

京橋の病院に運ばれ、腰の圧迫骨折ということで入院。
おりしも翌4/6、義母が肺炎で緊急入院、しばらくの入院生活の後、
5/6、 3月に逝った実のお兄さんと弟さんのあとを追って旅立ってしまいました。
その一週間前、4/29に退院していた義父は、
車いすのまま、どうにかこうにか義母の葬儀の喪主を務めたのですが
京橋の病院に入院している間に、すっかり体力は落ちてしまっていました。
病院の食事で胃が小さくなったのか、痩せて以前より食が細くなりました。
ハルカスを見に行く3日ほど前には、いつもどおりの健啖ぶりだったのに、
一般的に「年寄はコケたらアカン。寝付いてしもたらアカン」というのは実にそのとおりでした。
それでも退院以来、施設へ入ることは頑として承知せず、
自宅で一日二回ヘルパーさんに訪問してもらいながら、気儘な独居を続けた義父。
以前のような食欲は戻らないまま、足腰は弱るし、
ヘルパーさんに起こされて食事をとる以外はほとんどベッドで寝て過ごすことが多く、
夕方になると起き出して、朝まで喫煙しながらテレビを見て過ごすという生活パターン。
わたしたちも週に一度様子を見に行くのが精いっぱいで、
今の状態でとても一人では放っておけないと、
施設入所を何度も勧めましたが、その都度、答えはNOでした。

そして、9/21。
朝、テーブルとソファの間にうつぶせで倒れているのを
ヘルパーさんに発見された義父は、 かかりつけの病院へ運ばれました。
うつぶせになって圧迫されていたせいか、肺炎なのか、
肺に曇りがあるので、回復するまでの三週間ほどの入院ということでした。
この「動けなくなっているところを発見される」というパターンは初めてではなかったので、
毎度心配はさせられるものの、大きな驚きはなく、
とにかく入院してくれているほうが安心だし、
その間に今度こそ施設を探そうということになりました。
いくつか施設を検討した結果、うちの家から徒歩範囲の
しかもわたしの同級生がヘルパーとして勤めている施設に ほぼ決定。
部屋もおさえ、話も進め、本人との面談もすみ・・・・
と、ここまで順調だったのが、施設側から待ったがかかったのです。
義父が左足をひどく痛がったのがきっかけ。
施設の人が、少し触っただけで「イタイッ!」と大きな声を出したので、
ベッドから車いすへの移動等の介助に、支障があるのではないかと
施設の人が危ぶんだのです。
この左足の痛みは、夏の初めころから急に訴え出したものでしたが、
施設から病院側へ、この足のことを含めていくつかの質問がされ、
病院側の回答は、いずれも問題ない、施設での介護は可能、
というようなものでした。
それでも、施設側は不安がって、今回の入所は見合わせたいと言ってきたのが10/22午後。
確かに、今回の入院、入院して一週間くらいは比較的元気だったのが、
それ以降、日に日に痩せて元気がなくなり、どうも言葉もおぼつかない日が多い。
施設の人が、これはどうも怪しいと思ったのも無理はありません。
言葉がひどく出にくいが、脳梗塞か何かの影響かと先生に尋ねても
問題ない、きちんとこちらの話も理解してくれるし、
反応も返してくれている、とのことで、
確かに日によっては結構いつも通りの会話ができることもある・・・。
とはいえ、痩せ方がひどく、元気もなく、食欲もないのです。
病院側は「退院に向けて順調に回復している」と言うし、
まあ、食欲がないのは病院食が不味いせいで、
食べないから体力が落ちて元気もないのだろうと思うしかなく、
施設に入ってもう少しまともな生活をすれば、少しは元気になるものと思い、
退院→入所を心待ちにしていたところへ、施設からの入所見合わせの連絡が来たのでした。

はてさて、どうしたものかと途方に暮れていたら・・・
10/26、主治医から病状説明に呼ばれました。
肺炎の疑いで入院してもらい、肺の曇りはずいぶん晴れて快方に向かっていると思われたが、
食欲がなく元気もない、炎症の数値もなぜか下がらない、
おかしいのでCTスキャンを撮ってみたところ、胃の内部がボコボコに腫れている。
左の副腎にも腫瘍らしきものがある。
過去の前立腺癌は完全に落ち着いているし、副腎に転移するのは肺癌であることから、
肺癌の可能性が高いし、胃の腫れや食欲不振から胃癌である可能性もある。
いずれにせよ、非常に弱っているので、
手術はむろんのこと、抗がん剤等の使用は難しいので、
このまま静かに見守るということになると、
まあ、もって2ケ月か3ケ月という可能性もあり、
とにかく胃癌の疑いに関しては胃カメラ、
肺癌の疑いに関しては腫瘍マーカーで調べてみます、とのこと。
寝耳に水で、ポカーン。
とにかく、胃カメラと腫瘍マーカーをお願いして、
11/7、その結果を聞きに行きました。
その日は大好物の鰻を買っていきましたが、それも少ししか食べることが出来ず。
ハルカスの出来具合を気にしていたので、現在の姿をプリントアウトして持って行って見せたら、
「おおおお・・・」と感心し、「おとうさん見たときより大きなった?」と聞いたら
(自分が見たときはこれくらい)という意味で、ビルの2/3ほどのところを指さしました。
阿倍野界隈にはよほどの思い入れがあるようです。
先生との約束の時間に義弟の奥さんがやってきたので、 三人で先生の話を聞きました。
検査の結果、胃癌ではなく、肺癌。
肺の扁平上皮癌とのこと。
最近は肺癌=タバコとは言われなくなりましたが、
あとから調べてみたところ、この「扁平上皮癌」に関しては
喫煙との因果関係が非常に深いとのことでした。
これまで毎月の診察で、かつて治療した前立腺がんの予後は診てくださっていたものの
そちらは全く問題がなく、本人が症状を訴えない以上
CTスキャン等もしないので、その兆候はわからなかったけれども、
体力が落ちたことで症状が出てきたのだろうということでした。
治療はできないので、見守るしかない。
余命2~3週間というような状態ならこのままでいいが、
高齢で進行もゆっくりなので、施設か老人病院へ転院してもらうという線で
話を進めようということでした。
脳への転移があれば、あと二か月くらいだと思われるし、
急死ということもあり得るけれど、いずれにせよ、静かに見守っていくしかない、とのことで
11/13、ダンナと義弟の奥さんと私との三人で、
病院の医療福祉相談室で転院先についてのアドバイスをもらいました。
その中に、うちの家から近い病院があったので、そこを第一候補に
相談室のほうからアプローチしてもらうことになりました。

転院先第一候補の病院に、空きベッドがありますよ、との回答が来たのが、11/16の午後。
やれ助かった、これまで見舞いも平均して5~7日に一度しか行けなかったけれど
転院先の病院なら今までよりもこまめに洗濯物の回収にも行けるし、
差し入れも持って行けると思っていたその日の夕方。
義父の容体が急変しました。
調子が悪くなったらしいので、会社から帰ってすぐ病院のほう見に行ってみる、と
ダンナからメールをもらったのが17:30。
丁度、わたしが家庭教師先へ向かうバスの中で、まさか事態がそんなに逼迫しているとも知らず
じゃあ今から仕事行くけど何かあったら連絡してねー、みたいなノリで
そのまま出かけました。
この時点では、誰もまさか義父が亡くなるなんて思わず、
ダンナは丁度仕事が早晩の日だったので、いち早く病院へ行ったものの、
義弟はもちろん仕事があるし、義弟の奥さんや娘ちゃんたちも、たまたまのコンサート鑑賞、
みんながごく普通に過ごしていたのです。
家庭教師先で、そろそろ今日の勉強も終わろうかという19:20。
ダンナからのメールで「おとうちゃんが19:11に亡くなりました」・・・。
もうびっくりで。
でも、今更うろたえてもどうしようもない、とにかく残り10分間、仕事をすませて
タクシーを飛ばして病院に駆けつけました。
ダンナも死に目には会えなかったようでしたが、
なんというか、まだ眠っているような、起こせば起きそうな顔でした。
9時過ぎに義弟君も仕事を片付けて駆けつけ、
義父を霊安室へ移動させました。
夜が更けて義弟の奥さんと娘ちゃんたちも慌てて駆けつけてくれて、
真夜中、義父を葬儀会館へと送ったのでした。
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