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義父、逝く その2

2012.11.21 (Wed)

義父を一度、自宅へ帰してやりたい、と義弟が言いました。
その思いは、ダンナも私もまったく同じでした。
義父はあれだけ、自宅に愛着を持っていたのですから。
とはいえ、時刻はもう真夜中すぎ。
閑静な住宅街で慌ただしい動きをするのも気が引けますし、
自宅に帰せば、雑然とした座敷を片付け、敷布団の用意をし、
(掛け布団や仏具などはもちろん葬儀屋さんが準備してくれますが)
誰かがそばについていなければならないでしょう。
葬儀をすませるまでの一連の作業、動けるオトナは
ダンナと義弟くんと、その奥さんと私、4人だけです。
4人ともがフリーで動けないと、ことが進みません。
それにいったん自宅へ連れて帰れば、再度、自宅から会場へ
搬送する必要が出てきます。
実は当初、翌日17日に通夜を想定していましたから、
それではあまりに慌ただしすぎる、というのもあり、
義父には気の毒だけれど、そのまま葬儀会館へ運びました。
翌日になってわかったことですが、
季節がら、亡くなる人が多く、遺体を搬送する寝台車の手配も
なかなか大変なのだそうで、もし一度自宅へ運んでいたら、
次に葬儀会館へ運ぶ寝台車を確保するのも
結構大変なところだったということで、
しかも17日は大雨・・・・・、
湯灌の儀、納棺の儀、その他雑事に追われもしましたから、
直接会館へ運んだのは結果オーライということになりました。

義父の遺体を葬儀会館へ運び込んで、そのままの流れで
色々と葬儀コースや食事、供花等、選択すべきことが沢山。
もともと義父自身は家族葬でいいと言っていたものの、
義父は長年、税務署で勤め上げ、その後も税理士として働いたので、
仕事上おつきあいのあった方も大勢で、
また義弟くんが同じ仕事をしていて、そのおつきあいが続いていることもあって
やはり税理士さんがたに知らせないわけにはいかないとのこと、
義父の最後を、親族やお仕事仲間のかたたちに送ってもらうことになりました。
亡くなったのが金曜の夜で、当初の考えでは土曜に通夜、日曜に告別式とするつもりでしたが、
色々決めるべきことも多く、税理士さんがたへの連絡も土日に入ってしまってとりにくく、
結局1日ずらせることになりました。
日曜が友引でしたので、その意味では1日ずれて月曜告別式になったのは
却ってよかったのかもしれません。
緊張状態が1日延びることにはなりましたが、
雑事をこなす余裕はできました。

真夜中、2:00すぎに一度帰宅して3時間ほど仮眠をとり、
義父の写真や遺品をピックアップして葬儀会館へ。
1時間あまりして義弟くん一家も戻ってきたので、
葬儀の工程を決定したり、各方面へ連絡をとったりし、
正午から湯灌の儀が執り行われました。
この湯灌の儀、義母のときは家族の前ではされなかったので、
今回初体験です。
女バーテンダーのような恰好いい美人のお姉さんが、
華麗な手つきで義父の体を清めてくれます。
セレモニーの一環としてのパフォーマンス、といった色合いが強いものでしたが、
綺麗に洗ってもらっている様子は、家族にとっては嬉しいものでした。
湯灌の儀を終えた義父の、なんとまあオトコマエなこと!
やや半開きだった目や口もきちんと閉じてもらい、
顔色はメイクなしでもツヤツヤときれいで、
ほんの少しチークをはたいてもらった程度。
義弟くんの娘ちゃんたち「おじいちゃんのほうがパパより顔色いいで(^^;」
と言って義弟くんを苦笑させる始末(笑)。
痩せて彫りが深くなった分、細い鼻梁の高いこと、
2割増し男っぷりをあげた義父でした。

納棺を終えて、明日の2時にご導師であるダンナの従兄さんが来られるまで
主だった動きがないということで、いったんそれぞれの雑事をこなすために
解散することになり、税理士さん方への連絡用のFAX原稿が出来上がるのを待っている義弟くんたちに先がけて、
わたしたち夫婦はいったん自宅へ戻ることに。
ものすごい大雨の中、車を走らせました。
こんな大雨の中、お通夜を強行しなくてよかったとしみじみ。
すると2時すぎ、義弟の奥さんからメール。
従兄さんが今、会館に向かっておられるので戻ってきてくださいとのこと。
「? ? ? ?」ほとんど家のそばまで帰って来てしまっていたので、
わけがわからずパニクるダンナ(^^;
従兄さんが来てくださるのは明日のはずでは? と首をひねりながら
今来た道をとって返しました。
雨はひどいわ、道は混んでいるわ、パニクったダンナの運転は荒いわで
ヒヤヒヤしながら3時すぎにようやく会館へ戻ることができました。
従兄さんが来てくださる「2時」というのを
義弟くんが翌日のと勘違いしていたようでした(^^;
今後の段取りをご導師様たる従兄さんと打ち合わせた後、帰宅し、
義父の好きだった半田そうめんを買いにスーパーへ。
この日はそのあと比較的ゆっくりと休んで、翌日に備えました。

18日日曜日、通夜式当日。
義父宅へ義父の靴や愛用の櫛等とりにいってから、再び会館へ。
義父の郷里・徳島から、ダンナの従兄ふたり、従妹ひとりが来てくれました。
昨年の今頃、義父がひとかたならぬお世話になったかたたちです。
大阪に肉親のいない義父にとって、心強い縁者です。
徳島の三人と義父の思い出話をしたり、通夜前の雑事をこなしたりしているうち、
義弟の奥さんのお身内や、義母の一族のかたたちが続々と来てくださいました。
私の肉親といえば実家の両親だけですが、その両親も
母が身体が悪くて家から出られず、父も母から目を離せないため
通夜にはわたしの身内は一人も来ません。
こういうとき、肉親が一人もいないというのは非常に心細くもあり、
肩身も狭いものですが、わたしはもともと一人っ子ですし、
母の体が悪いのは昔からですから、こういう事態は若いころから覚悟の上、
気弱になってなるものかと踏ん張りました。
そんな中、通夜式の一般焼香の弔問客の中に、見慣れた顔が。
高校時代の友人でした。
実は、たまたま義父が亡くなった夜、彼女から近いうちにランチでもというメールが来て
その時に、義父が亡くなった旨を伝えていました。
とはいえ、いつ、どこで葬儀をするとも知らせずそれきりでしたから、
弔問に来てくれたときには驚きました。
彼女は、葬儀会館のある町の住人で、会館が駅前だったため、
これまたたまたま通りがかったときに、うちの苗字を見かけたということでした。
「スズキ」や「サトウ」ならよくある名前なので素通りしたのでしょうが
ちょっと珍しめの苗字なもので、間違いないと思ったそうで、
「見てしまった以上は知らん顔もできなくて」と
いったん帰宅して出直してきてくれたのです。
これは本当に心強かった・・・・。
もし、わたしの肉親が一人でもその場にいれば、そこまで感激はしなかったと思いますが、
まさに孤軍奮闘だったところへの彼女の弔問で、百万の味方を得た思い。
大げさではなく、素直にうれしく感じました。
「お葬式」というものは、普段、ついつい見過ごしてしまいがちな
義理人情というものを再認識するいいきっかけだなあと
今回改めて思ったのでした。
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