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三年前の夏

2014.07.07 (Mon)

昨日、数年前には暑い時期でも結構活動的だったと
古い日記を見直して書きましたが、
3年前の夏は色々大変だったのです。

3年前の春以降、義父の足腰がますます弱り、
床に腰をつくと自力では立ち上がれず、半日以上も動けずに失禁状態で発見される、
ということを繰り返していました。
いよいよマズい状態になってきて、7月にはついに
デイサービスでお世話になっている介護施設にショートステイさせてもらったりも。
病院で検査をしてもらうと、脳は全く異常なし。
筋力が弱りきっているので、とりあえず入院。
とにかく筋肉がすっかりなくなってしまっていたので、
一か月ほどリハビリをして回復させましょう、ということで
その一ヶ月の間に、それでは、今後義父を受け入れてくれる施設を探そう、
ということになったのでした。

義父の生活については、それまでにもさんざん気をもんできました。
一人暮らしがムリなことはもう分かりきっていたのです。
けれど、H家で専制君主として君臨してきた義父に
施設へ行け!とは息子たちにはなかなか言いだしにくかった時期でもあります。
それでも、ヘビースモーカーの義父が火事を出しはしないかというのが、
一番コワかったのです、わたしは。
何度もそう言ってダンナに今後の対策を考えるように進言しましたが、
一向に話は進みませんでした。
義弟くん夫妻は、数年前から義父とは疎遠になっていたし、
同居しているわけでもないわたしたち夫婦だけでは
どうにも手が回りませんでした。
ヘルパーさんの訪問日を増やしたり、デイサービスを取り入れたり、
介護認定を要支援3から要介護1に上げてもらったり、
あの年の夏は、色々ケアマネさんが骨折りしてくれましたが、
当の義父と長男であるダンナが、至って受身。
義父の介護については心配なことだらけでしたが、
介護にかかる費用などについては、義父が負担するので、
嫁のわたしがとやかく口出しできることではありませんでした。
義父が施設に入るのをしぶるのは、単なる頑固さなのか、
それとも金銭面のことなのか、それすらわからなかったのです。
ダンナに聞いても、義父の経済状態は知らないと言うし、
今後のことがあるからちゃんと把握しておかないといけないと言っても、
「また今度おとうちゃんに聞いてみるわ」と言いつづけてズルズル。

ある日、わたしが仕事から帰宅した途端、
ケアマネさんから電話が入りました。
一ヶ月の入院の間に施設探しをする予定でしたが、
看護師さんに聞いたら一週間で退院できる、と言われたというのでした。
ケアマネさん、びっくりして、大慌てで市内の施設を片っ端から当たってくれたらしいです。
介護1では特養には入れないとかで、老健を全部当たってくれたらしいけれど
すべて玉砕・・・・・。
それで「息子さん(うちのダンナ)がおられるH市の老健を三つ当たって
ひとつ入れるかもしれないところがあるので、まず家族面接を
受けてください」と言われました。
なんとも慌ただしい展開になりましたが、ケアマネさんが素早い行動で対処してくれて、
非常に助かりました・・・。
ケアマネさんも、義父とうちのダンナの親子の煮え切らない態度に
これまでかなりヤキモキしていたらしいのが言葉の端々に伺えるので
「すみません、わたしからも言ってはいるんですが・・・」
と言うと、「いえ、息子さんの立場としてはフクザツなのはわかりますが・・・」
と同情を示してくれたものの、「ほんとに、よろしくお願いしますねっ!!」と
わたしに念押しすることも忘れなかった・・・・。

で、翌日、ダンナが、施設に連絡をとったあと、
入院に必要なものをとりにいきがてら、風を入れに
実家へ行ったときのこと・・・・。
なんと、そこへ義父が、寝間着姿のままタクシーから降りてきたというのです。
「どないしたんや、なんで帰ってきたんや」と問うと
「郵便物が気になるから帰ってきたんや」と義父。
「病院には言うてきたんか。何時に戻るんや」と言うと
「言うてきた。出入りは自由や。何時に戻れるかわからん」
と義父は言ったそうで。
そこへ病院から電話があって、義父が勝手に出てきたことが発覚したのでした。
服に着替えると看護師に見咎められるから寝間着のまま一階へ降り、
入院病棟側の警備員さんのいる通用口から出ると何か聞かれるから
外来の玄関から出てきたらしいのでした。
日頃、午前中は活動しない義父なのに、
土曜は外来の玄関が昼には閉まるから、午前中に出てきたあたり、
確信犯だったと言わざるを得ません。
ダンナが慌てて病院へ連れ帰り、看護師さんにこっぴどく叱られたらしい。
現金を30万も持っていたので、余計なお金を持っているせいで
タクシーに乗ったりするのだから、
手持ちのお金は3000円にしなさいと看護師さんに言われ、
しぶしぶお金をダンナに預けた義父・・・・。
後日ようやく、通帳や印鑑もダンナが預かることになり、
お金の管理に関してはとりあえず一安心したものでした。
その後、入所した老健施設は、わたし一人でも車で行ける場所だったので
いくぶんホッとはできたけれど、
実はこの老健施設に入っていた夏から秋にかけてが、
わたしたち夫婦にとっては一番大変だったんだよなあ・・・・。
義父が毎日ダダをこねて、毎日施設から電話があって。
昼も夜も、仕事中も移動中も関係なかったなあ。

それでも、その後リハビリの甲斐あって、
一度は復活した義父。
郷里の徳島へも連れて帰ってあげられたし、
わたしたちも苦労した甲斐がありました。
結局翌年に亡くなってしまったけれど、
最後の2~3年、色々手がかかった分、
結果的には「少しでもお世話できてよかった」と思えました。
何もできないまま見送ったのでは、悔いが残ったかもしれません。
ある意味、義父とわたしたち夫婦との蜜月でした。

思えば、いろんな夏を経てきたんだなあと、
今しみじみ思います。
今年はわりと平和。
平和を存分にかみしめないとね。
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