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金美齢氏の子供論について

2014.08.11 (Mon)

mixiニュースにこんなのがありました。


=============(以下、mixiニュースより引用)==================================


このところの日本では、社会的な弱者をめぐる論議が絶えない。「弱者」ならば何をしても許される──そういった風潮もあるが、評論家・金美齢氏は「子供」について、こう言及する。


 * * *

 近ごろ、電車に乗ると違和感を覚える光景に出くわすことがある。空席があると子供がまずわれ先に座り、親が荷物を持って立っているのだ。満席の車内で子供が「座りたい!」とぐずれば、座っていた大人がわざわざ立ち上がり席を譲ることもある。日本には、「子供を優先して当たり前」という風潮が蔓延しているが、実に偽善的だ。子供は保護すべき存在であっても、社会の主役ではない。主役は大人である。


 私は自分の子供が小さいころ、電車で子供を座らせることを一切しなかった。揺れる車内でバランスをとりながら立つことで足腰も鍛えられるし、社会の主役である大人が優先されるのは当然だからだ。


 最近は車内へのベビーカー持ち込みも議論になっている。小さい子を抱えて電車移動するのは大変だし、一定の理解や配慮は必要だろう。しかし、それを「当然の権利」と甘えないで、他人様の好意に感謝してほしい。


 子供の権利を声高に唱える風潮にも軽薄さを感じる。


「人間はみな平等だから親と子供は対等、教師と生徒も対等の関係であるべき」と言えば、表面的には話の分かるリベラルな大人に見えるかもしれない。ところが、そうした「履き違えたリベラル」が子供に植え付けられると厄介なことになる。「大人に対して対等に物を言える」という錯覚を抱いてしまうからだ。未熟な子供と、長い人生の年月を重ねて、学び、働いてきた大人の意見が同等の重さということはあり得ない。


 学校教育の現場でも、履き違えたリベラルがまかり通っており、生徒に優劣をつけないよう運動会の徒競走を廃止する学校もあるという。これは〝ごまかしの平等〟だ。何ごとも「よく頑張りました」で済ませていたら、社会に出て苦労するのは子供たちである。


 少子化が進む世の中で、子供たちは甘やかされ大事に大事に育てられてきた。世界的に見ても日本ほど子供に甘い国はない。だが、愛情と甘やかしがまったくの別物であることは言うまでもない。子供がわがもの顔でふるまう社会になってしまったのは、大人が自ら厳しさを封じ込めてしまったからだ。


====================(引用終わり)===========================


うーん。
金美齢さんって、ニガテなところもあるけど、
この話については概ね共感します。
「概ね」はいうのは、もちろん全面的にではないのですが・・・。

まず、電車の中で親が座るか子が座るかについて。
童話で・・・・
ロバに荷物を乗せて父と子が歩いていて・・・
子供をロバに乗せて歩いていると、
通りがかりの人に「父が歩いて子がロバに乗るとは!」と言われ、
なるほどと思って、子供をおろし父が乗り・・・
また別の人にロバが可哀想だと言われれば
父も子も乗らずに荷物も降ろして・・・・と
他人の意見に振り回されながらの道中・・・という話がありますが、
まあ、わたしは「基本的には」小学生なら立たせればいいと思います。
もっと小さい子でグズってしまうようなら、
まだ足腰も弱くてすぐ疲れるし、却って他人の迷惑になることもあるから
靴を脱がせて座らせればいいと考えます。
就学する年齢になれば、美齢さんのいうように
足腰鍛える意味でも、モラル的な意味でも、立たせればいいんじゃないかなあ。
その年頃になってもまだ、泣きわめけば混んでいても座れる、
見ず知らずのオトナが見かねて「どうぞ」と席をゆずってくれる、と
思い込ませてしまうのはよくないですし・・・。
もちろん、すいていれば座ればいいと思いますよ。
べつにムキになって我慢するような問題でもないと思います。

ベビーカーについてはある意味しかたがない面もあるのかもしれない。
わたしは子育てをしていないから、その大変さを言われれば
そうなんですね、体験していなくてごめんなさいと言うしかないですが、
できればすいている時間帯に乗るとかいった工夫はあってもいいかなと。
いや、もちろん、病院だとか、幼児用の習い事だとか、
どうしてもその時間に乳幼児を連れて
乗らなくてはならないこともあると思うので
なにがなんでも混んでる時間帯には乗るなとかは思いません。
ただね、「子供連れてるんだからみんながどいてくれて当たり前でしょ」
みたいな横柄な態度だったり、ドアをふさぐ形で乗って
駅についても端に寄ろうともしてくれなくて、
みんな身体を横にして一人ずつ出入りしてるとか
そういう光景はナンセンスだなあと思う・・・・。
これはベビーカーだけの問題ではなくて、
たとえば車椅子でもそう。
以前、ホームで車いすの人がいて、つきそいの人が一人。
駅員さんに何も言わずにホームに上がったようで、
電車が来て、つきそいの人は当然周囲の人が手伝ってくれるでしょという態度。
わたしともう一人の男性とが車椅子を持ち上げるのを手伝って
車内へ入れたんですが、ものすごく太っている人だったのもあって、
その重いのなんの・・・・。
しかも急がなくちゃいけないしで、かなりゼーハー状態でした。
つきそいの人はろくに手を出さず、やってもらって当たり前な感じ。
車いすに乗っている人も、全く知らん顔でした。
(乗っている人については、もしかすると正しい判断のできない種類の
病気ということもあり得るので、しかたありませんが)
電車が動き出してからも、二人とも一言の礼もなく
ふたりで雑談を始めました。
礼を言ってほしくて手伝ったわけではありませんが、
これって、別に子連れや障碍者でなくても、
ごく当たり前に礼を言うものじゃないんでしょうか?
重い荷物を持っていて手伝ってもらえば「ありがとう」
両手がふさがっている時に前の人がドアを支えてくれれば「ありがとう」
体調の悪いときに席をゆずってもらえば「ありがとう」
それは当たり前のことです。
子連れだから、障害があるから、人に頭を提げろというのか!
というのとは全く別次元の話です。
むしろ、子連れだから、障害があるから、やってもらって当たり前、
お礼なんて言う必要はない、という風潮になりつつあるのがコワいです。
食事の前に「いただきます」というのを
お金を払っているのだから、そんなことを言わされるのはおかしい、
という人がいるそうですが、それだっておかしい、
獣や魚や植物の命をいただくことに「ありがとう」
それらが食卓に届くまでに携わってきた人たちに「ありがとう」
その一言がなんでそんなに惜しいのか。
「すみません」
「いえいえ、大変ですね、困ったときはお互い様ですよ」
「ありがとうございます」
それでお互い気持ちよくスムーズにいく話じゃないですか。
「ごめん」や「ありがとう」を言ったほうが負け、みたいな
世知辛い世の中に、なんでなってきちゃったんですかね。

「対等」「平等」のはき違えについても、常々感じるところ。
子供にも人間としての「権利」があるのは当たり前です。
でも、乳幼児は自分でその「権利」を正しく行使できないという点で
まだまだ「人間未満」だと思っています。
言い方に語弊があったらごめんなさい。
もちろん赤ちゃんだって幼児だって、立派な一個の人間です。
その権利は尊重されるべきです。
でも、子供はまだ人としての学びの途中であって、
その主張が必ずしも正当なものとは限りません。
子供の主張を受け止めたうえで、正しいほうへ導くのも
オトナの役目だと思うんです。
「矯正」とか「誘導」みたいに考えると
オトナの都合に子供を無理矢理合わせるみたいですが、
子供が小さい間はある程度オトナが指導してやらなきゃダメなんじゃないかな。
よく「4歳くらいまでは理解する力がないから叱っちゃダメだ」と
言う人がいますが、ほんとにそうなのかなあと思います。
4歳というと・・・犬や猫の知能が、ある面では3~4歳児並みだといいます。
でもね、かれらは、きちんと指導すれば、実にいろんなことを覚えます。
一方では言葉をしゃべれないという点では1歳児にも劣るのに、
他方では4歳児よりずっと多くのことを学びます。
4歳の人間の子供は犬や猫より遥かに言葉も解するし
相手の顔色もちゃんと読み取れまるのだから
その気になればもっと多くのことを学べるはずです。
漢字や九九ではなく、モラルの面でです。
もちろん、「我」も出るから、一筋縄ではいかないけれど、
あからさまに悪いことをしているのに「叱っちゃダメ」は
やっぱりおかしいと思う・・・・。
よそのお宅で何かを汚したり破損したり、
書店で本を折り曲げたり、スーパーでお菓子の封を開けたり、
そういうことは「あかん」と教えなければいけないのじゃないか。
そのとき「なんであかんか」わからなくても、
「あかん」ということをキチンと教えておけば、
いつか年齢が追い付いたときに、ああ、そういえばこれ、
あかんと言われたけど、なるほどあかんよなあ、
って、ふと腑に落ちる時が来るはずだと思うんです。
それをもし、子供がよその家の何かを壊したときに、
「この子がこれを壊したかったのには
この子なりの理由があるんだからしかたないでしょ」
と母親が言うとしたら・・・・、
それはやっぱり変だと思うんです。
それじゃ、小さい子どもがいる母親は
あっち向いてもこっち向いても謝ってばかりして、
子供を一日中怒鳴り散らしてなきゃいけないのか、と
逆ギレされてしまいそうですが、
そういうイミのことを言っているのではないというのは
普通に考えればわかるんじゃないのかなあ・・・・。
もちろん、子供って本当に言うことをきかなかったりするから
母親はもうヘトヘトで、「いちいち叱っていたら身が持たない。
もう好きにして!」という境地になるのはわかります。
でも、「少なくともママはあなたのしたことを正しいとは
思っていない」という姿勢は見せないといけないんじゃないかなあ。
なんでもかんでも「あなたにはあなたの考えがあるんだから、
ママは全て受け入れるからね」ではダメなんじゃないかなあ。
いや、あくまでも私はそう思うというだけです。
子なしだから、こんな余裕綽々なこと言えるんでしょうかね。
「生徒に優劣をつけない」というのも、
一見子供を守っているようで、子供の成長の芽を摘んでいる気がする・・・。
いくら大人が隠しても、どの子にも得手不得手があるのは当たり前。
自分の不得手に気づいて傷つき、乗り越えることも、
得手に気づいて伸ばす努力をすることも、自分の中の驕りと戦うことも、
その子の成長に欠かせないことだと思うんだけどなあ・・・。

今の社会の中で、私は自分がものすごーく古くさい人間のような
時代に取り残されたような気分なることがとても多いです。
私はやっぱり子供がいなくてよかった。
だって、私は子供を、私のモラルで育ててしまう。
私の古いモラルで育てられた子供は、
きっと今の社会の、同年代の子供たちの中で
とても生きづらくなるだろうから・・・・。




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